舞台「TERROR テロ」




「私刑」とは、個人や特定集団により執り行われる独断的な制裁のことである。かつて日本でも「仇討ち」と呼ばれる「私刑」が行われていた。法治国家になるにつれ、それらの行為は否定されるようになり、法や公権力により裁かれるものとなった。人々は「行為」で人を裁くのではなくて、「犯罪に至った過程」にも耳を傾け、目を向ける。

「TERRO テロ」と言う舞台は、この前提の元で幕をあける。

テロリストが旅客飛行機をハイジャックし、164人を人質に取った。犯人はサッカーの試合で盛り上がるスタジアムへの自爆テロを予告。スタジアムの観客7万人と飛行機の搭乗者164人の命が天秤にかけられることになった。

戦闘機を運転していたパイロットは、独自の判断で飛行機を撃墜、搭乗者164人は全員死亡した。果たしてパイロットは有罪なのか、無罪なのか。

舞台上で進行する裁判、被告人や証人たちの発言、弁護士と検事の主張を聴いた観客は、舞台の終盤、パイロットは殺人の罪で有罪か無罪かについて、票を投じることになる。

その投票結果で結末が変わるのだが、私の回では、パイロットは「有罪」だった。

後で知ったのだが、世界中で上演された結果を比較すると、日本は他の国より「有罪」になるケースが多いそうだ。

私は「無実」に入れた。

彼がルールを破ったことには責任が伴う。それは仕方がないと思ったのだが、「殺人」の責任は彼が負うべき罪なのかについて、疑問を拭えなかった。

彼は7万人を救ったが、164人を殺してしまった。それは誰かに命令されたのではなくて、個人の正義的価値観による判断であり、「私刑に該当する」と見なされたのだろう。

私のとは異なる見解になってしまったことについて、「残念だな」みたいな感情は生まれなかった。舞台中で「過ちを繰り返さない様にルールを定め、それを守ることで近代国家を維持する」みたいなことを言っていたのだが、そういうことなのだろうと納得したのだ。

先日、ある女性ブロガーが、自分が元々所属していた企業に勤めていた男性からパワーハラスメントの被害にあったと、大手メディアで告白した。

しかし、彼女は、それが事実であるという証明もせず、法や公権力による裁きも行わなかった。それだけではなく、自身が持つメディアで、その様なプロセスを踏むのは手間がかかり、ハラスメントがのさばる原因にもなってるとまで書き記しており、「それはただの『私刑』では?」と思ったのだが、なるほど、もしかしたら、私が彼女を肯定できなかった様に、多くの観客も彼の「私刑」を肯定しなかったのだろう。


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ゲームで遊ぶこと、映画や舞台を観ることが好きです。

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